カネとモノの話
229.「金」感

「金」
これを、「きん」と呼ぶ人もいると思いますが、世間の大半は「かね」と呼びます。
人は「かね」が無いと生きていけません。
「かね」が無いと、
衣食住に不自由し、
好きな人に尽くす事も、
人を動かす事にも影響してきます。
「かね」は大事です。
だから人は「かね」の頭に「お」をつけます。
その大事な「かね」の出処は、他ならない皆さんの労働によって生まれます。
沖縄の労働者の年収は大体、
20〜30代であれば、200~300万の辺り
40〜50代頃で、300〜400万辺りでしょう。
これはザックリですが、
正社員の人もいれば、
アルバイトの人もいるし、
年収の幅は人それぞれです。
言うまでもなく、正社員の人とアルバイトの人は年功序列で将来上がる
年収や賞与の事を考えても、大きな差が開いてくるでしょう。
この正社員とアルバイトの「かね」感は、だいぶ違ってくると思います。
それなのに、同じ「かね」の使い方をする人に警鐘を鳴らしたいです。
モノに対する「かね」の価値は平等ですが、
「あなた」が払う「かね」の価値は「他人」が払う「かね」とは平等では無いのです。
それを平等と同一視するのであれば、労働に伴う給与の向上なくして、破滅以外にありえません。
家庭ができればその価値は変わり、
給料が上がればその価値は変わり、
ドルの上下でもその価値は変わり、
付き合う女性にも、自分のテンションにも、大きな夢にもその価値は変わります。
少なくとも、自らの生活水準を給与の水準と比例して消費しなければならない。
つまり給与水準の低下に合わせて、生活水準も下げなければいけない。
それができない人が世の中には溢れ、犯罪に手を染め、破滅していきます。
破滅する位なら喜んで質素な生活をしよう、これが成功する秘訣だと僕は考えます。
たまには自分の財布と通帳、今後のライフイベントを見つめて、自分の「かね」感を考えるのもよいかもしれませんね。
ps.
画像は我が家に伝わる家訓。
間違いなく昨日の銭の戦争の影響ですね笑
