NSSB小説
403.先生は私のもの⑥怪人『日絵』

6. 怪人『日絵』
榎本が遠藤を追尾していた同時刻、春山は都心から離れた県境にある施設の中にいた。この地域は、良く言えば人里離れたのどかな場所だが、悪く言えば誰も立ち寄らない寂しくて廃れた地域だった。全く娯楽も無く、山に囲まれたこの地域は、数年前にその施設の完成と共に、地元の人間も引っ越した。
この施設は日本で最大最悪の刑務所だ。
日本で起こった多くの重大な殺人事件の犯人は、全てこの中に収容され、刑に服している。
春山はとある犯罪者と会うために、この施設の中に入った。当然ながら一般人の面会は禁止されているが、警察に顔の利く春山は、今回特例で入所を許可された。
春山と面会する男は、地下3Fの特別な監獄の中にいた。地下はひんやりとして暗く、緑の照明のみで怪しげな雰囲気に包まれていた。
地下3Fは特別な犯罪者のみが収容されているため、部屋も個室で待遇は悪くないという。
「こちらです。」
警備の警察官が春山にその男の部屋に案内した時、男は何か書物をしていたらしく、部屋の中のデスクに腰掛けていた。その影から分かるように、大きな体格をした男は、Tシャツにスウェットパンツと他の服役者と同じ服装だが、明らかに違う雰囲気を持っていた。
春山に気づくと男は、警備のものに目配せをして、ここから出て行くよう指示した。
部屋の扉に鍵は無く、春山は約20坪あるその大きな部屋の中に入って、男と机を挟んだ椅子に座った。
「お久しぶりです。黒田警部。」
大きな体格の男は、黒田教の首切り連続殺人犯の黒田だった。黒田教は昔から伝わる宗教に近いもので、復讐の際には必ず首を切ると言う残酷な殺人を繰り返していた。その黒田教の幹部が警察であるという衝撃の事件が世間を賑わせたのは記憶に新しい。
この黒田こそ、その本人であるが、実は春山の刑事時代の上司でもあった。
「もう警部というのはよしてくれないか?今はただの犯罪者だ。」
黒田は少し笑みを浮かべた。刑事時代は暴君で笑った表情さえ稀であったが、現在は少し丸くなったようだった。
「お元気そうで何よりです。早速ですが、黒田警部にお聞きしたいことがございます。」
春山が本題に入ると、黒田の顔が変わった。
「捜査か?」
「はい。怪人『日絵(にちえ)』を覚えていますか?」
この名前が出た途端に黒田の顔はより一層厳しい表情をした。
「まさか。現れたのか?」
「ええ、おそらく。手口が似過ぎています。」
怪人『日絵』。
これは約10年前、黒田と春山が担当した事件だった。
当時の事件の概要はこうだった。
とある舞台作家の男が殺された。当初警察は、その男が密室の自宅で死んでいたことから、自殺と判断していた。しかし死んだ男の手が、小さな紙を握っていることを見つけた。その紙にはこう書かれていた。
「この物語の主役は私だ。
怪人『日絵』」
そしてそこから怪人『日絵』の連続殺人事件が始まった。
全ての事件は、密室の自殺なのに、必ずその紙が置いてある。
「主役」という文から警察は、その舞台作家の男を含む被害者に共通するドラマや映画を調査した。舞台作家に始まり、主役の女性と男性、脚本、カメラマンなど次々に殺害された一つの劇があった。
ミュージカルにも似た、歌と演技のコラボレーションとは裏腹に、
人間の愛憎を含んだ恋愛物語だった。
犯人は脇役の一人の冴えない30代の男性と目をつけた警察だったが、
実はそれは変装だった。
その冴えない男性は、実は20代の女性であった。
演技に命を懸けている彼女は完璧主義で、手を抜いた人間を許さない。
彼女は自分の存在を、どんな人間にもなりきれる「超人間」であると豪語していた。
その怪人『日絵』を追い詰めるも、性格や容姿まで完璧に変装する彼女を警察は捕まえることもできなかった
噂ではもう海外に飛んでいるという話もあった。
今回の事件では、その殺害方法が酷似している。
「確かに。あの女は厄介だな。」
黒田も眉間にしわをよせ、大きな拳を口の前で組み、考え込んだ。
「ええ。ですから黒田警部の情報網で、最近の日絵の動向がつかめないかと思いまして。警察の情報では少なすぎます。」
「ふむ。」
すると黒田は小さな紙に何かを書き始めた。
黒田警部の情報網。これは当時警視庁にいたものなら、誰もがその凄さ知っていた。国内に加えて、海外の犯罪情報まで黒田教の情報網は広がっていた。おそらく今でも捜査協力があるため、黒田にだけこの施設での『特例』が認められているのだろう。
「それとあと一つ。欲しい情報があります。」
「何だ?」
「麻薬です。」
「なんだと?」
すると黒田は視線を春山に向けた。
「今回の事件は、麻薬も関わっていると私は思います。」
「そうか。」
黒田は紙を書き終えたらしく、それを春山渡した。
春山はそこに書かれた文字を読み上げた。
「bar Sugino」
場所は変わって、ここはお洒落なレストラン。
三ツ星フレンチの味はさることながら、上品で高級な雰囲気も良い。
その様子をレストランの外の街路樹から、張り込んでいた。
ただの大学生が行けるような金額の料理は出ないが、
ここにその大学生と、そして大学の非常勤講師はいた。
心理学者の遠藤と、中央女子大学3年生の阿部美玲だった。
彼女は一度目に聞き込みをした容疑者で、春山の推理では亡くなった古賀と内田の事を知っているのに知らないと嘘をついた、今のところ最も怪しい人物だ。
窓際に座った2人の顔から察するに、楽しげな雰囲気とは言えなかった。
遠藤は普段通りの済ました顔をしているが、阿部に関しては落ち着きがない。怒っているような、怯えているような表情だった。
それは突然だった。
阿部の顔が怒りに満ちたと思いきや、すぐさま店内を出て行ってしまったようだ。遠藤はその場に固まっていたが、僕は阿部の方が気になってしまったので、急いで阿部の後を追跡した。
阿部は10分ほど小走りをした後、近くの小さな診療室に入っていった。
「フリードリヒ診療院?」
もう夜8時を回っていて、営業していないはずだが、インターホンを彼女が押すと、診療院に入っていった。
外で張り込みをして20分後、阿部が出てきた。心なしか少し落ち着いた表情と笑みを浮かべている。
僕は彼女がいなくなった後、すぐにこの診療院のインターホンを鳴らし、中に入れてもらった。
「私、富利取(ふりどり)と申します。榎本さん、刑事さんですか?」
「はい。実はある事件で今の阿部さんを調べていて。」
明るい診療室に通されて、僕は椅子に座った。
しばらくすると、助手の女性が紅茶を運んでくれた。
20代後半と思われるこの綺麗な女性は、笑顔ではあったが、時間外の客が連続してきたためか、不機嫌な顔をしていた。
「大野君ありがとう。君は上がっても大丈夫だよ。」
「はい。わかりました。」
大野という女性は、足早に退室すると、僕は本題に入った。
「先生、先ほどの阿部さんはこちらに通院しているのですか?」
「ええ。もちろん普段は部外者にこのような事を話しませんが、刑事さんということなら。彼女はこちらで精神疾患のカウンセリングを受けています。」
「え?」
「彼女は大学で心理学の専攻をしていますが、どうやらその研究課題が上手くいかないらしくて。夜眠れないそうなんです。なので精神安定剤と睡眠薬をこちらから出しています。」
「研究課題?精神安定剤?」
僕は何か嫌な予感がした。
「ここ最近でこのように精神安定剤を出した患者はいますか?」
「ええ、こちらの患者さん達です。」
そのリストを見た僕は衝撃を隠せなかった。